日々を生き抜く22歳のカメラマン、トウフィーク
今回インタビューに答えてくれたのは、レバノン北部のトリポリに家族と暮らす22歳のカメラマン、トウフィーク。トルコのアンカラ大学で映画・テレビ制作を学んだ。地元愛が強く常にアクティブな彼は、混沌とした毎日を力強く生き抜くレバノンユースの一人だ。
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*以下、Tをトウフィークの回答としています。
映像制作はパッション
-どうしてカメラマンとして働くことになったの?
T 今のキャリアの始まりは、すごく小さい時にテレビでナショナルジオグラフィックを観ていたことかな。ドキュメンタリー映像制作にものすごく夢中になって、ナショナルジオグラフィックが扱っていたすべてのトピックに興味が湧いた。動物や刑務所、人種差別についてとかね。そのビジュアルと、映像と、彼らが使っているカメラに心を奪われたんだ。それで、8歳から12歳くらいの時、ビデオを撮ったり映像を作ったりするのが大好きになった。特にドキュメンタリーだね。
-それで今の職になったんだね。
T そう、それがいつしかパッションになって、今は働いている(笑) 毎日成長できるように努力しているよ。ありがたいことに、それぞれベイルートとトリポリにある映像制作会社で仕事を得て、今はずっと働いている。
-トリポリのドキュメンタリーを撮っていたよね?
T 実は、もとはトリポリだけの予定だったんだけど、今はレバノン全土を対象に取り組んでいる。なぜなら、企画を行っているうちに、学校に通っている多くの生徒が、自分さえも、レバノン内戦について教わっていないことがわかったんだ。けれど、レバノンにとってこのトピックは本当に重要なことだ。
それで今作っているドキュメンタリーでは、内戦から今日までを扱っている。何が起きて、レバノンがどんな影響を受けたか。友人たちと取り組んでいて、編集者、作曲家と、カメラマンがいる。かなり時間をかけて取り組んでいるよ。上手くいけば、テレビの配給会社とかに売りたいと思っている。良い感じになると思うよ。できたらぜひみんなに観てほしい。
トリポリ、ヌール広場
内戦と教育
-学校で内戦について教えられない、とはどういうこと?
T 教えられたことと言えば、オスマン帝国時代の話とか、第一次・第二次世界大戦のことだけ。内戦に何が起こったかわけがわからないんだ。だから、内戦について学んで、人々と話して、インタビューをしに行った。そうしてやっと、1975年から1990年代まで続いたレバノン内戦について学んだ。
-教えられないのは、それが未だに物議を醸すような話題だから?
T いや、内戦について学校で触れられないのは、それが物議を醸すからでも、人々がそれについて話したがらないからでもなくて、時代遅れだからなんだ。学校や、大学、教育システムのすべてが時代遅れだ。教えられないのは、教科書がすごく古いから。今のわたしたちが学んできた教科書は、両親の時と同じ教科書だ。教育システムも、レバノンのすべても、時代遅れなんだ(笑)
-家族や親せきに内戦の話をしたら、話してくれる?
T そうだね、両親や祖父母に内戦について聞くと、話すのは全然かまわないって感じだ。彼らにとって、とても大きな事でもなくて、それをただ生きたという風にね。自分も今の危機の中をどうやって生きたかって誰かに聞かれたら、それを話すことは問題ないし、むしろ話をして実際に何があったか説明することは歓迎だ。年配の人々も、内戦が未だに触れにくい問題だから話したくない、という風ではなくて、なんだろう、あんまり言及しなかったり、忘れていたりという感じかな。
-学校では2000年代のイスラエルによる侵攻などの話もないの?
T ないね。もし学校で内戦や、イスラエルの侵攻や、2006、2007年にトリポリで起きた紛争とかを全て習って、それについて議論してきたとしたら、わたしたちはもっとたくさん話したり関心を持ったりできるかもしれない。誰も教えてもらっていないから、忘れられていっているんだと思う。自分で調べるしかないからね。知りたければ、特別そういった本を探して読むしかない。
ドキュメンタリーのためにリサーチをしている時も、内戦についての情報や映像、写真を探すのがすごく大変だった。図書館に行って、インタビューの質問を用意するために学ぼうと思ったんだけど、本を見つけるのも大変。内戦を生きた人と話す時も、答えてもらったら自分で覚えておかなきゃいけないね(笑)
レバノンのユース
T オッケー、ユースについて話そう。ユース、わたしたちの年代とか、もっと若い世代、さらに少し上の世代までも、その多くが、レバノンで幸せではないと感じているのは悲しいことだ。良い人たち、素敵な友人たちがいて、美しい国にいる。でも残念なことに、わたしたちは国外に出たいと思っている。
-それはどうして?
T なぜならやっぱり、経済状況がものすごく悪くて、生き抜くのに苦労しているから。特に同世代で、まだ学士を持っていない場合とかは、仕事を探すのが難しすぎる。だから国外に出て、勉強をしたり、仕事を見つけたりすることになる。
-仕事を探すのも大変?
T そうだね。レバノンは確実に!!就職難だ。ありがたいことに、わたしの場合は幸運で、今も2つ会社で働くことができていて、どうにか生き延びている。けれど、多くの人が自分のようにラッキーではなくて、仕事に就けていない。特にユース、年配の人も、いや、レバノンの人全員かな!わたしの両親も今、生きるために別の仕事を必死に探している。両親は高学歴で、学士も持っている。それでも収入を増やすために仕事を探すことが今すごく難しいんだ。
トリポリの街並み、革命のグラフィティと
サウラと政治
*2019年10月に始まった大規模な反政府デモは、“サウラ(革命)”と呼ばれる。
-今のサウラはどんな状況?
T サウラは今起きてはいるけど、前のようにではない。数か月前、トリポリの人々が怒りで道に繰り出し、プロテストを行った。暴力もあった。レバノンの軍や警察とかとの間でね。爆弾も飛び交っていたし、それらはただの発煙筒ではなかった。煙や火もあったし、実弾も人々に向けられていた。
-それは何に対するプロテストだったの?
T トリポリの人々は街に出て行って、抗議をし、政府に対して暴動を起こした。経済やすべての状況、ベイルートの爆発に対してね。わたし自身も街に繰り出した。暴動にも抗議にも参加しなかったんだけど、撮影をした。短い映像を取って、過去2か月にトリポリで起きてきたことについてドキュメンタリーを作った。まったく最悪だった。状況は本当に悪い。インタビューをしたんだけど、人々は怒りを吐き出していた。改善しそうにないって。
*トウフィークが撮影・制作したトリポリのプロテストの動画はこちら。人々の憤りと、緊迫した状況が伝わってくる。
-今は大きな抗議活動はないんだね。
T 今は落ち着いて、大きい抗議活動やサウラは起きてない。けど、私たちは何もできないんだ。レバノンの人たちはみんな、政府に対して何度も抗議をしてきた。本当にたくさん試みてきた。だけど政府も、政治家も、まだ同じ椅子に座っている。何もしないままね。人々は希望を失ったようにも思う。完全にではないけど、中にはもう希望はないと感じている人もいる。全員じゃないよ。確かではないけど、もうみんな諦めてしまった感じもする。政治家たちはまだやっぱり詐欺師で、わたしたちのお金を奪って、銀行を凍結させ、それに対してわたしたちは何もできない。1年にわたる大きな革命でさえ、トリポリが怒り、ベイルートが湧き、それでも何も変わらない。何も変わっていないんだ。
-そんなレバノンの政治についてどう考える?
T レバノンの政治について、全くためらわずに言えることは、すべての政治家は地獄に落ちてくれってことかな(笑) 彼らは首都の半分を破壊して、多くの人を殺した。ベイルート港の爆発物の存在を彼らは知っていたのに、何も話し合わず、何も伝えず、そのせいで人々が亡くなった。政治については一日中話せるけど、政治家はとにかく地獄に行って。
-レバノンのユースは日々政治について良く話題にする印象があるんだけど、実際どう?
T ユースだけじゃなくて、レバノンのみんなが政治について話す。政治家がどれだけ腐敗しているかとか、わたしたちのお金を盗った上に銀行を凍結させてることとかをね。盗んだお金を彼らは他の国で使ってるんだ。これ以上腐敗した政治家になんてなれないくらいだよ。
2019年のサウラの様子、トウフィーク宅の屋上から
レバノンを去ること
-トウフィークはトリポリに留まるの?
T 実は、出ようとしてるんだよね。トルコかUAEで一時的な仕事を探している。国外に出ようとしてるのは、ここの状況は全く改善しそうになくて、ひどく悪化する一方だから。特に今ドルと経済の状況はめちゃくちゃ悪くて、人々は苦しんでいる。多くの人が家を失ってもいる。
-でもトウフィークはトリポリも好きなんだよね。
T トリポリにいるけれど、ずっとここから出ようとしている。なんでだろう、トリポリは大好きなんだよ。街も、人も、全部ね。だけど、自分達はすごく絶望的な感じがしていて、状況は全然良くならないからね。まだ見つかっていないけど、いつも外に出る方法を探してきた。わかんないけど、どうにかしようとしている。レバノンが本当に大好きで、出来るなら去りたくないけどね。
けど、生きるためには去らなきゃいけない。だって、この頃は生きるのすら難しくなっている。今わたしたちは食べ物やお金とか、いろんなものを貯蓄している。レバノンでアポカリプスでも起きるんじゃないかってくらいにね(笑) 貯金と、生きるための食糧を持っているんだ。今日も、車にガソリンを入れようとしたんだけど、ガソリンがどこにもなかった。それくらい状況はひどい。
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経済状況の悪化が続き、レバノンの生活はますます厳しくなっている。
国外に出る人々も増えるなか、トリポリが大好きなトウフィークもまた、その必要性を強く感じているよう。
レバノンが抱える歴史や汚職に正面から向き合う彼のようなユースたちは、これからどのようにして故郷と関わっていくのだろうか。
〈協力・写真提供〉
Toufik Tabikh インタビュー実施日:2021年4月12日
(文・Beit Lebanon 大竹くるみ)
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