パワフルなレバノン人女性、サビーンの物語

今回インタビューに答えてくれたのは、サビーン・サッローム

西ベイルートに、最も古くから住んでいるクリスチャン一族の出身。フランス系の名門大学、ベイルート・サン・ジョゼフ大学で社会学と人類学を学び、その後大学院で人材・組織管理を学んだ彼女は、これぞレバノン人!なトライリンガル(三言語話者)。パーティー大好き、空手黒帯のキャリアウーマン、サビーンの半生に迫る。


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以下、Sをサビーンの回答としています。


子ども時代


―育った環境について聞かせて。


S:私はちょうどレバノン内戦が始まった年(レバノン内戦:1975年~1990年)に、ベイルートのクリスチャン一家の末っ子として生まれたの。うちの一家は裕福だったから、大きい家に住んでいて、コックさん一人、掃除や子どもの世話をするメイドさん二人、庭師兼運転手さんを一人、雇ってた。

その頃は親戚もみんな同じエリアに住んでいたし、近所の人も家族みたいなもので、しょちゅうお互いを訪ね合ったりしてたよ。ムスリムもクリスチャンもみんなが親しいコミュニティだった。

内戦の時にクリスチャンの多くがここを出て行ったから、今では私たちみたいにハムラ地区(ムスリムが多数派の西ベイルートの地区)にずっと住んでるクリスチャンは少なくなってしまったけど。


―学校はどんな風だった?

S:私の学校は、修道女が運営してるとっても厳しいカトリック系の女子校で、内戦中もよっぽどのことがない限り、いつも授業があった。

基本的に授業はフランス語で、他にアラビア語と英語のクラスもあったけど、暗記中心の詰め込み教育だったからすごく大変だったよ。クラスメイトにはクリスチャンもムスリムもドルーズもいて、みんな修道院式に厳しく躾けられたわよ!

サビーンが通った学校、Ecole des Soeurs de la Charité - Besançon Beyrouth


―お父さんはあなたが子どもの頃に亡くなったと聞いてるけど、お父さんや内戦中のことをちょっと話してくれる?

S:うちの両親はいとこ同士なの。父は病気がちだったけど、裕福でスーパーも経営してた。でも内戦中は自宅やお店に銃を持った人達がやってきて、強盗されたこと7回。そして父は2回誘拐されて銃で撃たれたけど、無事戻って来た。

私たちは内戦中、いつも避難したり、地下に隠れたりしてたものよ。でもこの地区から去ることはなかったし、今でもここに住んでる。

サビーンのご両親。裕福だったけれど、内戦中は大変な目に。


親戚、人間関係、宗教について

―内戦でたくさんのレバノン人が海外へ移住したよね。サビーンの親戚はどうしてる?

S:そうね、内戦中から内戦後に、海外へ移住したレバノン人はたくさんいる。私も姉がオーストラリアに、叔父さんやいとこ4人がメキシコに、いとこ6人がアメリカに住んでるよ。レバノン人のほとんどは外国に親戚がいるでしょう。

去年あったベイルート港大爆発の時は、外国にいる従兄姉たちがニュースを聞いた後すぐに、大丈夫?お金は必要?何かできることない?って電話をかけてきてくれた。私たちは別の国に住んでても親戚同士の結びつきが強いの。それがレバノン人のいいところかな。

レバノン人って、レバノンいる時はみんな文句だらけで外国に出たいって言うけど、飛行機に乗った途端、やっぱりレバノンに戻りたいと思ったりするものなのよ(笑)。

外国から帰って来たいとこ達と、ワイワイお出かけ。


―今日サビーンは、ゴッドマザーとしての用事があるって言ってたよね。「ゴッドマザー」、「ゴッドファーザー」について教えてくれる?

S:これはクリスチャンの風習で、生まれて来る赤ちゃんには、実の両親の他に「ゴッドマザー」と「ゴッドファーザー」がいるの。親しい親戚や友人の中から選ばれるから、血縁関係がなくても友達の子供のゴッドマザーになることもある。

ゴッドマザーは、その子がよいキリスト教徒になるためのお手本になったり、人生の相談役になったりする責任があって、毎年その子の誕生日にはプレゼントをあげたり、何かと世話を焼いたりするのよ。

サビーン自身の洗礼式で、ゴッドマザー、ゴッドファーザーと一緒に。


―レバノン人の近所づきあいはどう?子供の頃に比べて、何か変わった?

S:少しずつ変わってきてるとは思う。やっぱり昔の方が近所の繋がりは強かったと思うけど、今でも近所同士でお互いのうちを行き来したり、よく野菜や料理を交換したりするよ。


―サビーンはクリスチャンだけど、マルワン(彼女の夫)はムスリムだよね。結婚と宗教について聞かせて。

S:私は子どもの頃からずっと、ムスリムとクリスチャンが混じった環境で育ってきたから、ムスリムと結婚するのも別に問題だとは思わなかった。でも最初家族にマルワンを紹介した時、母はしばらく私と口を利かなかった。

この時父は既に亡くなっていたから、母は私たちによきクリスチャンとしてふるまわせる責任を余計に感じてたからだと思う。でも数日したら受け入れてくれて、大きな問題にはならなかったけどね。

夫のマルワンはオープンな思想の持主で、私たちはお互いの宗教を認め合って暮らしてる。女性がクリスチャンの場合、結婚の時にムスリムに改宗する必要はないし、周りの友達で反対する人もいなかった。みんな祝福してくれたよ。

結婚式当日、お母さん、お姉さん、お兄さんと。


―結婚式はどんな感じだった?

S:私たちは二人とも親戚が多いし、友人も誰かは呼んで誰かは呼ばないと問題になるから、ゲストはけっこうたくさん呼んだの。私たちの結婚式の招待客は500人くらいだったけど、中にはもっとたくさん呼ぶ人もいるわね。

サビーンとマルワンの結婚式。ダンサーが被っているとんがり帽子はレバノンの伝統衣装。


―普段の生活や、子どもたちに対する宗教の影響は?

S:宗教というより、夫婦で習慣が違うと感じることはあるかな。マルワンはイースターやクリスマスに私の家族を訪ねてお祝いするし、私もムスリムのお祝い行事に参加するけど、お互い相手の宗教行事にはあんまり感情移入できないかも。一応顔見せました、って感じ。

でもそもそも私たちは二人ともそんなに宗教色が強くないし、神様は信じてるけど、あまり熱心な信者でもないんだよね。娘たちには、宗教というより、よい人間であるための価値観を教えるようにしてる。人に親切にして、思いやりを持ちなさいとか。

よい人間である限り、宗教の教えに厳格に従うことが重要だとは思わないし、娘たちもどっちの宗教に属するかあまり気にしてないみたい。どっちにも強い帰属意識はなさそう。彼女たちは、お寺でもどこでも好きなところに行けばいい、私は気にしない。


女性であること、母、仕事。


―レバノンで女性であることについて。

S:レバノンの女性は強いよ。女性が弱いとか、犠牲者だっていう考えは私は受け入れない。今まで25年間働いてきて、自分が女性だから何かできないと思ったことは一度もない。私は何でもできるし、自分で決断も下す。だから女性だということが何かの邪魔になったことはないかな。

でも男性と同じように夜遅くまで働いて、彼らに負けない能力があるのに、同じポジションだと女性の方が少し給与が低いっていうのは問題だと思う。

レバノンのパワフルな女性たち。仕事や家族だけでなく、普段から社交も大事!


―日本では、小さい子どもがいるお母さんが海外出張に行くことは珍しいんだけど、サビーンはよく海外出張に行ってるよね。


S:レバノンでは普通だよ。近くにお祖母ちゃんや親戚が住んでて子供の面倒を見てくれるし、住み込みのナニー(子育てを手伝ってくれるヘルパーさん)もいるしね。食事だって親戚や近所の人も持って来てくれるから、母親がしばらく海外出張に行ってもなんてことないよ。


―お手伝いさんやナニーを雇うことについて


S:以前は、お手伝いさんやナニーもレバノン人だったんだよ。村や貧しい家庭のレバノン人が裕福な家庭で住み込みで働きながら、町の学校に通ったりしてたの。今では家事手伝いのヘルパーさんはほとんどみんな外国人(注:アジア人やアフリカ人が多い)だけど、このトレンドは内戦後のこと。


―サビーンのうちでは、家事手伝いとナニーとして、フィリピン人のテスを雇ってるよね。彼女との関係はどんな感じ?

S:テスは私が結婚した時にうちに来て、それからずっと住み込みで働いてもらってる。私は彼女がいてくれて本当にラッキー。もう、テスさまさま!

彼女には家事全般してもらってるけど、それ以上に娘たちにとってはお母さんのような存在かな。うちの子たちは何か秘密があると、まずテスに話すの。だるい時や愚痴を聞いて欲しい時も、最初にテスに打ち明ける。

彼女には躾のために子供たちを叱ってもいいって言ってあるし、子供たちが小さい頃は、彼女が文字や数字を教えてくれてた。朝早い学校の準備も、テスがやって送り出してくれる。そして、娘たちは私に怒られると、テスに助けを求めるのよ(笑)。


―整形手術について。レバノンは美容整形大国だよね。なぜみんな整形したがるの?

S:レバノンでは、特に女性は見た目がパーフェクトであることを要求されるし、社会的なプレッシャーがすごいの。私たちの鼻は高すぎるから、鼻を低くする手術が一番人気ね。

―そのプレッシャーは男性から来るの?女性から来るの?

S:断然、女性から!男性は、女性の顔なんて実はそこまで細かく見てないものよ(笑)。細かいところまで見てるのは圧倒的に女性の方。

私は自分ではこのままでいいと思ってるんだけど、この前も女友達から「あなた、ここにボトックス入れるべきよ」って言われたの。いつまでも若くパーフェクトな見た目でいるべきっていうプレッシャーを撥ね返すのは大変。


―女性の自由や自立について

S:娘たちによく言ってるんだけど、あなたたちは何でもできる、女性は男性より劣るわけじゃないし、あなたたちは自由なんだって。他の人の自由を侵害しない限り、あなたたちはどこまでも自由だってね。

だからあの子たちは女性の権利にはとても敏感。ディズニー映画のおとぎ話を見て、お姫様が王子様に助けてもらうなんて馬鹿げてるって言うの。女性は男性に頼るもので、助けてもらうのを待つばかり、なんていうのは嘘だって二人とも知ってる。


子どもの教育について

―サビーンの娘二人は今、小学生と中学生。既に三言語を使いこなす。レバノンの教育の現状は?

S:昔の教育は暗記中心で自分の意見を言うことは重要視されなかったけど、今の学校教育は自分で調べて自分で考えることに重点を置いてる。だからたくさん自由研究やグループ・プロジェクトがあるね。クリエイティブであることや、自分の意見を言うことが重要視されてる。

娘たちの学校はフランス語中心で、他に英語とアラビア語のクラスもあるけど、テスと話す時は英語だから、普段から英語も使ってる。一番苦手なのはアラビア語かな(苦笑)。

―小学生の修学旅行先がフランスで驚いたんだけど、あれはやっぱり富裕層が行く学校だから?

S:そう、もちろんすべての子供たちが修学旅行で外国に行けるわけではなくて、あれは経済力のある家庭の子が行く私立学校だから。

娘たちの学校の修学旅行は、毎年テーマが決まってるの。上の子の時は「発見」がテーマだったから、フランスの海辺の町で航海スキルやロープの使い方を習ったり、自分達でテントを建てたり、植物について習ったりした。

下の子の時は「歴史」がテーマで、フランスの歴史的な場所を訪れたり、伝統的なパンの焼き方や踊りを習ったりしてきたよ。


レバノンの今の状況と今後


―最後に、レバノンの今の状況についてどう思う?(革命デモ、経済危機、ベイルート港大爆発、パンデミック等、レバノンはこの1年ほどで暮らしが激変した)

S:この美しい国は破壊されつつあって、まるで私たちも少しずつ殺されていくような感じがする。残念だけど、今の状況は中東全体の政治が絡んでいて、レバノン人だけではどうにもできない。

なんとか生活しようとはしてるけど、この状態が続いたら正直厳しいね。ある日目覚めたら、全財産が紙屑同然になってて、いきなり貧乏になったようなもの。

レバノンは観光産業がメインだったけど、こんな状態じゃ外国人も投資も来ない。特にベイルート港大爆発の後はね。


―サビーンは外国へ出ないの?これからどうなると思う?

S:私は今更、外国には出ないかな。レバノンに留まるつもり。

レバノン人は無秩序かもしれないけど、温かい心を持っていて、フレンドリーだし、人に何かを与えるのが好きで寛容だと思う。それになにより、パーティーや人生を楽しむことが大好きな人達。

これからどうなるかは誰にも分からないけど、何事も永遠に続くことはないと思ってる。悪いことが起こっても、そこから回復して良い方向に向かっていくし、それを繰り返しながら、物事は常に流転してるから。

2019年10月に始まったレバノンの「サウラ(革命)」デモに参加するサビーン。このあと状況は更に悪化しているが、経済的・政治的に行き詰まったレバノンの今後の行方はいかに?!

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古代から列強に支配され、諸外国の思惑に翻弄され続けてきたレバノン。しかしいつも不死鳥のように蘇ると言われてきた。

人々の間では、革命が成功しなかったことへの落胆、諦め、経済危機による疲弊の色が濃くなっている。けれども、今回の苦境もいつか不死鳥のように乗り越え、レバノンが生まれ変わる日は必ず来るはず。ただし、それがいつかは神のみぞ知る。。。


<協力・写真提供>
Sabine Salloum インタビュー実施日:2021年3月20日

(文:Beit Lebanon 法貴潤子)

Beit Lebanon / بيت لبنان

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