知られざるレバノンのクリスマス第三弾~クリスマスコンサートの行方
12月のベイルート、街を歩けばどこからかクラシック音楽が聞こえてきます。ラジオでもBGMでもなく、数ある教会の一つから。また数日後には別の教会から。これはベイルート・チャンツという団体が行うクリスマスコンサートです。
ベイルート・チャンツのコンサートは地元民に愛される存在であるとともに、クリーンとは言い切れない葛藤も抱えています。
今回はベイルートに暮らすNGO職員の風間さんから、ベイルート・チャンツについてお届けします。
Beirut Chants Festival
ベイルートチャンツフェスティバルとは、今年で13回目を迎えたレバノンの首都ベイルートで行われるコンサートイベントです。
毎年12月の約1カ月間、ベイルートの美しく趣のある歴史的建造物(教会等)で開かれています。クラシックがメインですが、ジャズ、アラブ歌謡も演奏されます。ピアノソロ、デュオ、小編成、オーケストラ、合唱付きオーケストラ等の多様な編成の音楽を楽しむことができます。
非常に人気のあるイベントで、例年客席が満席になることも多いようですが、今年は新型コロナウィルス対応のため、完全予約制とし、観客数を減らして対応していました。
私が観に行ったものの中から、オープニングコンサートである12月1日に聖ヨゼフ・マロン派協会 (St. Joseph Maroun Church Monot) で行われたアブデル・ラフマン・エル=バーシャー (Abdel Rahman El Bacha) のコンサートを紹介します。
アブデル・ラフマン・エル=バーシャーは、毎年ゴールデンウィーク頃に日本でも開催されているラフォルジュルネジャポン等で何度も来日している日本でも有名なピアニストです。前売りチケットは完売し、感覚では通常の半分のキャパシティーでしたが、400人程度の観客が詰めかけていました。ショパンのバラード・スケルツォ集から数曲聞くことができたのですが、「クラシックってよく知らんけど、なんかショパンの曲ってロマンチックできれいで好き」という超素人リスナーながら、とても楽しむことができました。
教会の様子。ステンドグラスはベイルート大規模爆発の影響により割れたままで、木の板が張り付けられていた。
Beirut Chants の理念
物価の高いレバノンで、世界的に有名な音楽家の演奏を歴史的な教会で聞くことができるコンサートなんて、きっとお高いんでしょう?という声が聞こえてきそうですが、なんと入場無料です。その理由は、設立者のメッセージから読み取ることができます。
Beirut Chantsのウェブページに載っている設立者ミシェリーン・アブー・サムラさんのメッセージでは、音楽への愛を通して人々が団結し、人々が平等な市民としての権利を平和的に求めながら、共生・変革を唱え、自分たちの価値を表現する、そうすることで、より良いレバノンをつくっていく、という趣旨のことが謳われています。そのため貧富の差に関わらず平等に参加できるよう、入場無料にしているということですね。出演者のセレクションも、ミシェリーンさんの過去のインタビューによると、多様な宗派が共存するレバノンらしく、例年マロン派、シリア教会、ギリシャ正教、アルメニア教会などのキリスト教、イスラム教のグループからの出演者を呼んでおり、聴衆も、宗教やコミュニティ、年齢に関係なく、レバノン全土から(外国人も)来ているそうです 。
「無料」の裏側
実は、この12月1日のコンサートでは、演奏の真っ最中の会場内で、ある事件が起きました。後援する金融機関へのサイレントプロテスト(無言の抗議活動)です。ある女性が掲げた大きな紙には、「このコンサートは、SGBL (作者注:Société Générale de Banque au Libanはレバノンの大手金融機関)のアントン・セハナーウィーや他の銀行家らによって盗まれた人々の預金で運営されている」と、金融機関を非難する言葉が書かれていました。
・抗議活動に関するインターネット記事:
Rim Zrein, The961 “People Stormed Beirut Chants Festival Protesting Against Bankers”
レバノンの通貨であるレバノンポンドは、1997年以降、1米ドル=約1500ポンドの固定相場となっており、レバノンポンドと米ドルの二つの通貨が国内で併用されていました。しかし、2019年後半以降、外貨不足により1ドル=約1500ポンドの固定相場が実勢レートでは崩れ始め、2020年12月現在、1ドル=約8000ポンドにまで暴落しています 。1年間で人々が保有していたレバノンポンドの価値が約8割なくなり、物価がレバノンポンド建てで何倍にも上がっています。また、銀行に米ドルの預金口座を持っていても、米ドルの引き出し制限がかかっているため、原則的に実勢レートよりも悪いレートで銀行口座からレバノンポンドを引き出すことになっています。つまり、経済危機の責任を取るべき金融機関や政府が、自分たちで責任をとるのではなく、一般市民に実質的に損失を負担させているという状況です。レバノンの貧困率は、2019年の27.9%から、2020年5月の時点で55.2%に上昇 し、現在は更に悪化していると考えられます。
これが、抗議活動で主張されていた意味です。つまり、レバノン経済危機の責任の一旦を負うべき銀行が、その責任を負わずに、むしろ一般市民の預金を実質的に掠め取っている、そうした金融機関がそのイメージ戦略のために支援する音楽イベントは、開催すべきではなく、参加もすべきではない、ということです。無料の裏にはこうした背景があったのですね。
私にとって興味深かったことは、抗議活動をする人々が非難したり摘み出されることが無かったということです。私の想像に過ぎませんが、聴衆は、経済危機と新型コロナウィルス、大規模爆発で荒んだ心を癒すため、今は音楽を楽しみたいが、金融機関や政治家に対する不正を批判することに対しても強く共感している。出演者も、社会事情を理解した上でそれでも音楽で人々を癒すために出演を承諾した。主催者側としても、この抗議活動とイベント理念には通じるものがある。その微妙なバランスが、サイレントプロテストに対する聴衆・主催者・出演者のサイレント対応だったのかもしれません。
さて、このBeirut Chantsは、全てオンラインでライブ配信していますし見逃した場合も録画版が上がっていますので、ぜひ聞いてみてください。
Beirut Chants Facebookページ:Beirut Chants بيروت ترنّم | Facebook
〈参照〉
Nelly Helou, AgendaCulturale “MICHELINE ABI SAMRA : BEIRUT CHANTS, UNE NÉCESSITÉ” 2018年
LebaneseLira.org: Lebanese Lira / Lebanese Pound Exchange Rate against US Dollar (USD/LBP)
(文・風間満 2020年12月13日、編集・Beit Lebanon)
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