映画「明日になれば」オンライン上映会・トークイベント

"明日になれば:Tomorrow we will see" 

レバノンの日常に飛び交うこの言葉。監督とプロデューサーを迎え、そこに込められた人々の思いと歴史に迫ります。

『明日になれば/ Tomorrow We Will See』2013年

監督・プロデューサー 梅若ソラヤ、プロデューサー 梅若マドレーヌ

レバノンで活動するアーティストたちを通して見るレバノン社会。様々な分野のアートはどこかレバノンの国や人々を表し、批判し、支えている。複雑で活気あふれるこの国、そして経済危機以前の姿を映しだします。

(本編はこちらからご覧いただけます。)


*本記事では1月30日のオンライン映画上映会後に行われたQ&Aセッションの様子をお届けします。

ゲストスピーカー:

梅若ソラヤ レバノン人の母と日本人の父を持つ映画監督・演出家

梅若マドレーヌ ソラヤさんの母、著者に『レバノンから来た能楽師の妻』


Q.どのような経緯でこのドキュメンタリー映画をソラヤさんに作るように勧めたのですか?

マドレーヌさん(以下Mと表記):

 ソラヤはドキュメンタリーを幾つか手掛けていましたが、レバノンを扱ってほしいと思っていました。残念ながら日本人は小さなレバノンのことを何も知らず、わかることと言えば戦争だけです。レバノンには非常に美しい文化と歴史があります。ソラヤの二番目の文化、そして家族と過ごすことで彼女のルーツやアイデンティティを知ってほしかったんです。

ソラヤさん(以下Sと表記):

 2009年に1年間ほどレバノンに滞在し、レバノンの理解を深めようと思いまいした。母親がプロデューサーであったことは私にとってラッキーで、彼女のサポートがあったからこそ作れたドキュメンタリーだと思います。

M:

 レバノン人は世界中にいて、国内より国外に多くのレバノン人がいます。戦争の記憶などから帰りたくない、と思う人々もいますが、この映画を観た彼らの気持ちが変わったのです。わたしたちが持つ美しさを気づいてくれたことでドキュメンタリーを作ったかいがあったと感じました。


Q.内戦の跡が残った建物について、どう思いますか?

S:

 建物に残る内戦の傷跡は、歴史を伝える国のアイデンティティに関わり、また平和を訴えるシンボルとしての役割を果たしていると思います。跡が残った建物について、それは傷に似ていると建築家のナディーム・カラムは述べています。人々はその深い傷を未だに抱えています。今は内戦の傷跡が残る建物、そして8月の爆発事故のダメージを受けた建物が混在しています。それらの建物は30万人の家を失った人々のために建て直すべきだと思います。


Q.レバノンには様々なバックグラウンドを持つ人々が共生してきた歴史がありますが、今でもそれが課題としてとらえられることに疑問を示す声が映画にありました。共生についてどう考えますか?

M:

 レバノンには18の宗派が存在し非常に多様です。また常にその地理的条件から周りからの介入を受けてきました。ローマやオスマン帝国、フランス、イスラエル、シリアなどです。この歴史がわたしたちを強くし、どんな文化にも適応するようになったんです。それが多様であることの美しさです。そして、生き抜くために共生する必要があったので柔軟な人々になったのです。それはどこに行っても同じです。例えばわたしが日本に来ることも大変でしたが。レバノン人は戦争などの様々な試練を経験したことから、またフェニキアの時代からも貿易ビジネスで有名ですし、カルロス・ゴーンもありますし、またそれは別の話ですが(笑)、そこに生まれた共生は美しさであり、他の文化を知り受け入れることです。時に問題にもなりますが、これらの歴史はわたしたちをオープンマインドで柔軟にしました

 -日本人は予定を決めたがる一方で、レバノン人は良い意味で自分に正直でそれを伝えてくれますよね。同時に相手の要望が変わることも許してくれたり。今やりたいと思うこと、欲しいものに正直なんですかね。

S:

 明日ランチしようと言っても、明日電話して!と言われることもありますね(笑)

 -この題名がぴったりですね。

S:

 日本語だと"Tomorrow We Will See" にあたる表現がないので訳すのには苦労しました。


Q.この映画の製作前には予想していなかったことはありますか?

S:

 レバノンの理解がそこまで深くなかったと思います。2009と2010年に1年ほど滞在し、その前は子供の時に夏休みに訪れていましたが、今回は色々学びました。宗派の対立関係や、アーティストのランドスケープなど。印象に残ったことが宗派対立を批判しているアーティストだったので、彼らの声を取り上げようと思いました。レバノンでは政党によってカラーがあり、そのカラーが政党や宗派の価値観を表しています。この映画ではアーティストがいかにそのカラーをミックスをしていくかを見たかったので、いろんなアーティストと時間をかけて信頼関係を築いてから撮影に入り、その過程をじっくり見ることが出来ました。


Q. この映画に登場するたくさんのアーティストたちは特定の宗教に固執しない人が多いのでしょうが、レバノンには敬虔なイスラム教徒やクリスチャンの方もいらっしゃいますよね。映画の中でその存在がアーティストたちにとって邪魔なようにも聞こえたのですが、必ずしも宗教を信じている人が問題と監督は考えていないのでしょうか。

S:

 信じていることが問題とは感じていません。宗派対立が中東では大きな問題ですので、宗派対立を批判しているアーティストを選びました。宗教に属している方もいらっしゃいますが、対立を批判している声を持ち上げたかったんです。わたしは宗教にも、一つの文化にも属していないので、だからこそつくれたドキュメンタリーだと思います。

Q. アーティストたちは自分の信じる道を表現することができますが、一般の人々は対立が激しくなるほど何かに従ったり信じたりしたくなるでしょうから、色々な文化や民族が入り混じっている国は常に緊張感があるのでしょうね。

S:

 自分の仲間や団体に属しているのか常に判断していると思います。レバノンでは名前や住んでいる場所などでどの宗派に属しているかがわかるんですが、時々わからないと祖父の名前を聞かれることもあります(笑)。またドキュメンタリーの中でもありましたが、色々な宗教のモチーフがあります。タクシーにあるキリスト教のロザリーなど。ただ、それらを強調してしまうと人間性を優先しないので、それがちょっと残念ですね、争いや緊張につながるので。


Q.映画を観て、イランに似ているように思いました。日本で中東と言うと一つの塊としてとらえる方が多く、戦争というイメージも強いと思います。ただこの映画はモダンなレバノンを描いたと思います。今回は、日本のイメージからあえてモダンなものにしたのですか?イランもすごく似ているので、富んでいてエリートな人々もいれば、教育を受けていない人や宗教的な人もいます。映画でアーティストや富裕層を選んだのは意図的でしょうか。

S:

 母と決めたことは、宗派や出自の違うアーティストにフォーカスすることです。ムスリムやクリスチャン、そして分野も音楽、絵画、建築、また年齢層も様々です。富裕層の出身だけでもありません。ただ、アーティストになるには一定のバックグラウンドが求められるとは思います。誰にでもそれだけの余裕があるわけではないですし、ましてやる気もないといけないと思います。

Q.イランやレバノンの総合的なイメージは日本では悪く、それを更に見せるのではなくメディアが見せない部分を伝えたかったんですね。

S:

 そうだと思います。創造や、より良い明日に向けての国の再建への取り組みにフォーカスしたかったんです。同時に、明日は予定できない、と否定的にとらえるアーティストもいたのでそれもまた考えさせられますね。


Q. "Tomorrow We Will See / Bkra Minshouf"というフレーズについてどう思いますか?

S:

 この表現は日本語に訳すと “明日になれば” になります。色々な方がこの表現を使っていて、色々な意味があるんです。明日になれば、の他の解釈には、“明日は明日に任せる” 、というちょっと悲観的なニュアンスもあります。人生が無常であるという概念が伝わると思います。

M:

 明日何が起こるかわからない。8月4日の爆発や、レバノンの日々を見てください。悲観的にならなくとも、明日が何が起きるかわからないんです。それが現実です

S:

 明日への希望を感じる方もいると思います。映画の最後にこの表現の解釈をアーティストたちに聞くと、明日はあるということや希望を感じている、という発言もありました。


Q.多様性を受け入れるためにどんなことを大切にしていますか?

M:

 柔軟性です。レバノンで作品の資金集めをした際、人と繋がることは思ったよりとても簡単でした。日本では有名なアーティストと繋がることは難しいですが、レバノンではたとえ有名でも他人を助けようとする人間の繋がりがあるのです。わたしは18歳からレバノンに住んでおらず、誰に連絡するかなどどうすればいいのかわかりませんでした。それでもみんなが助けてくれました。この人に連絡するように、など教えてくれるんです。そして連絡すると彼らは快く会って、そして助けてくれます。この人の繋がりが最も重要です。周りに助けてくれる人がいること、これがコミュニティということです。否定的に言いたくはないですが、日本ではこれは難しく非常にフォーマルです。レバノンでは人に聞き、頼まなければ手に入りません。レバノンで能の舞台を開催出来たのもこのおかげです。ミーティングをたくさんするのではなく、一人と話せばそれで決まりです。監督とコーヒーを飲んだらもう決まり、のように。日本ではこのようなことは起きません。この点が感動的で人間味を感じる大切なことです。

S:

 日本では整備が整っています、電車が時間通りであるようなインフラも含め。だから人々は独立しているんです。レバノンの社会は崩れやすく、明日戦争になるかもわかりません。いつか全て失ってしまうかもしれない。だから助け合わなければならないんです。完全に機能的ではないから、お互いに助け合わないといけないんです。

M:

 両方は手に入らないですが、どちらにも良い点がありますね。

 ー日本とレバノン、どちらが良いか悪いかではなく、お互いの考え方を交換し合うことを通しての柔軟性が大切ですね。そして柔軟性を持つためにはまず知ることが必要ですね。

 

明日何が起こるかわからない、そんなレバノンの日々の中で力強いメッセージを送り続けるアーティストたち。それを伝える監督・プロデューサーのお二人の言葉は日本の社会の在り方をも考えさせるようです。

レバノンのアーティストによる最先端の作品から、歴史を映す建物、そして共生が生み出す日々の助け合いは、より素敵な明日を迎えるヒントになるかもしれません。


〈苦境にあるレバノンのアート界への支援のご案内〉

 最後に梅若ソラヤさん及びマドレーヌさんのご意向より、本作にも登場した劇団、Zoukak Theatre Companyを紹介します。


2006年にレバノンに創設したZoukakは社会・政治的メッセージを発信する媒体として演劇を取り入れる劇団です。人々が取り残される社会の体制に対し、様々なコミュニティから参加者を取り込んだ劇の創作や、ドラマセラピーに取り組んでいます。

現在Zoukak劇団は活動支援のための募金を行っています。寄付金は2020年8月4日のベイルート港での爆発被害、経済危機とパンデミックの影響で苦境にあるZoukakスタジオの復旧、また活動継続のために活用されます。

レバノンのアートをZoukak Theatre Companyを通してご支援くださる、という方はこちらの当劇団ウェブサイト・寄付ページよりアクセスください。

Zoukak Theatre Company 募金ページ


(2021年2月2日 Beit Lebanon)


Beit Lebanon / بيت لبنان

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